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飯田簡易裁判所 昭和46年(ろ)10号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実中、主位的訴因は、

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四六年八月二〇日午前五時四〇分ころ、普通貨物自動車を運転し、飯田市松尾上溝二九八番地の交通整理の行なわれていない交差点を弁天橋方面から新飯田橋方面に向い直進するにあたり、前記交差点は、左方の見とおしが悪く同所の信号機が黄色の注意信号を点滅していたので、徐行のうえ左右道路から進入する車両との安全を確認すべき注意義務があるのに、その安全を確認することなく時速約二五ないし三〇キロメートルで進行した過失により、おりから左方道路から進入してきた松尾堯(当四三年)運転の普通乗用自動車に自車を衝突させ、よつて同人に加療約一週間を要する右側頭部打撲挫傷の傷害を、同車の同乗者松尾匡(当八年)に加療約一週間を要する右眼窩上部挫傷の傷害を、同松尾健(当一〇年)に加療約二週間を要する右前額部創裂等の傷害をそれぞれ負わせたものである。

というのであり、

その予備的訴因は、

被告人は前同日、同所の交通整理の行われていない左方の見とおしのきかない交差点において、普通貨物自動車を運転通行するに際し、徐行しなかつたものである、

というのである。

二、そこでまず事実関係を明らかにし、その後検察官の主張について判断する。

1、本件交差点の道路並びに信号等の状況は、司法警察員作成の実況見分調書及び当裁判所の検証調書によれば次のとおりに認められる。即ち(一)本件交差点は、飯田市松尾上溝二九八番地において南方飯田市松尾方面から北方上郷町別府に通ずる道路(国道一五三号線、以下南北道路という)と、東方弁天橋方面から西方新飯田橋方面に通ずる道路(伊那・生田飯田線、以下東西道路という)とが直角に交わる交差点であり、(二)右交差点には信号機が設置されており本件事故当時は、南北道路の交通に対面する信号機は赤色の灯火の点滅(以下赤点滅という)を、東西道路の交通に対面する信号点機は黄色の灯火の点滅(以下黄点滅という)を各表示しており、また右信号の表示は、その対面する道路上からのみではなく、交差道路側からもその表示内容を識別することが可能であつたこと、(三)右各道路ともアスフアルト舗装されてはいるが歩車道の区別なく、その道路幅員は、南方道路が約7.5メートル、北方道路が約6.5メートル、東方道路が約5.6メートル、西方道路が約7.5メートルであること、(四)右道路中、南、東西方各道路には、交差点に接して幅約4.3ないし4.5メートルの横断歩道が設けられていること、(五)被告人運転の普通貨物自動車(以下被告人車輛という)進行の東方道路上から、交差する南北道路への見通しは、左方である南方道路に対する関係で、その角(南東角)に店舗が建てられているうえ、わずかな隅切り部分にもコンクリート製の電柱が設置されている為、右店舗と電柱との約六〇センチメートル程の隙間から見通せるのみであつて、その見通しうる範囲も双方が前記横断歩道に差しかかつて始めて相互に発見し得る程度であつて、見通しの悪い交差点であること、(六)南方道路の一時停止線は東方道路から左折する大型車との接触回避の為、同道路の横断歩道南端から約6.8メートル南方寄に設置されていたこと、(七)右各道路とも最高速度の制限はないこと、以上の事実が認められる。また

2、本件事故発生時の状況としては、右各証拠と被告人の当公判廷における供述並びに司法警察員及び検察事務官に対する各供述調書、並びに第二回公判調書中の証人松井哲夫の供述部分、同松尾堯に対する当裁判所の尋問調書、高生精也作成の鑑定書及び同人の公判廷における供述を総合すれば次の如く認められる。即ち(一)事故発生直前には各道路とも他の車輛の通行はなく、且つ横断歩行者もなかつたこと、(二)被告人は昭和四六年八月二六日午前五時四〇分ころ、前記東方道路を被告人車輛を運転して時速約四〇キロメートルで西進してきたが、本件交差点に接近したため時速約二五ないし三〇キロメーメルに減速して前記横断歩道に進入したところ(交差点中央から約八メートル東方の地点附近)、その際時速約二〇ないし二五キロメートルで左方の南方道路の同じく横断歩道直前附近(交差点中央から約一〇メートル南方の地点附近)を北進してくる松尾堯運転の普通乗用自動車(以下松尾車という)を発見したのであるが、双方の速度及び位置関係から加速すれば自己車輛が先に通過し得るか、仮に出来ないにしても、松尾車の対面する信号は赤点滅であるから同車が一時停止して被告人車輛を先に通過させてくれるであろうと考えて、ハンドルをやや右に切つたのみで加速しようとしたところ、右松尾車がそのまま進行してきたため、交差点中央より西方寄りの地点に於て、被告人車輛の運転台左側面と松尾車の前部とが衝突するに至つたものである。

もつとも右両車の速度について弁護人は、高生精也の鑑定が確たる科学的根拠に基かないものであること、及び当時の被告人車輛の速度は時速約一五キロメートルであつたことを主張するのであるが、その主張する時速一五キロメートルという速度も被告人の「感じ」によるものでこれを又確たる根拠があるわけでもない。そして、右鑑定の結果得られた被告人車輛の時速二五キロメートルないし三〇キロメートルとの速度は、被告人が本件事故の三日後に司法警察員に対して供述していた時速約二〇キロメートルにも近いこと(この取調べには格別問題は見当らない)、減速前の速度が時速約四〇キロメートルであることからするとこれを時速一五キロメートルに減速するには相当強い減速措置が必要となるが、被告人が交差点直前で右措置をとつた形跡はないこと、また被告人が松尾車を発見した際に同車より先に通過し得ると考えたことは、その際の両車の位置及び松尾車の前記速度から考えて、被告車輛の速度が右松尾車の速度よりやや上廻つていたことを推測させるのであつて、以上の事実を前記鑑定の結果と併せて考えると、被告人車輛の速度はやはり時速二五キロメートルないし三〇キロメートルと認めるのが相当と思われる。

三、そこで次に検察官の主張について検討する。

検察官は右事実を前提として、被告人車輛の対面する黄点滅の信号は、道路交通法施行令(昭和四六年政令第三四八号による改正前のもの、以下同じ。)二条一項により「他の交通に注意して通行することができる」旨を表示していたのであるが、右信号はそれ自体としては何ら特別の運転方法ないし注意義務を課するものではなく、従つて、その注意進行の内容(動静注視、減速、徐行、一時停止、又は警笛吹鳴)は道路状況、歩行者及び交差道路の車輛の進行状況、特にその位置、速度、動静等によつて定まるのであつて、本件に於ても被告人車輛進行方向に向つて左方である南方道路が見通せない以上、同道路からは一時停止した後に再発進してくる車輛もあり得るのであつてそのような場合に被告人車輛が徐行せずに進行するならば両車輛が衝突する危険もあるのであるから、被告人車輛は本件交差点に於て徐行或いは一時停止等の措置に出て危険を防止すべき義務があつたものと言うべきである。又南方道路への見通しの悪いことからすれば、被告人車輛に対しては道路交通法四二条(昭和四六年法律九八号による改正前のもの。以下同じ。)により徐行義務が課せられることになり、以上いずれにしても被告人車輛には徐行義務が課せられていたものである、旨主張する。

なるほど本件においては被告人がいわゆる時速一〇キロメートル以下といわれる徐行の措置をとつたうえで本件交差点に進入し、松尾車を発見と同時に急停車の措置に出たならば本件事故は防止し得たであろうと思われるが、果して被告人車輛に対して右の如き徐行義務が存していたか否かについて考えることとする。

本件交差点には前記認定のとおり赤点滅と黄点滅の信号を表示する信号機が設置されていたものである。

ところで、交差点に信号機が設置されるのは、当該交差点の道路状況や交通道路進行車輛の動静等に対する運転者の判断のみに依つて交通秩序を保とうとしても、当該道路の交通量の多寡、道路の形状等々からその判断が十分且つ適切にはなされず、またその判断が区々となり易いことなどから事故発生の恐れが高くなると考えられる場合に、これを識別の明確さ及び判断の一律性という特徴を有する信号機の信号に依らしめることによつて、運転者の個人的判断に依存することからくる右の如き弊害を取り除き、ひいて事故防止に役立てようという理由に基くのであつて、従つて信号機が設置されこれが作動している限りは、法も運転者に対しその信号の意味するところに従つて運転方法を決定するよう要請し(道路交通法四条二項)、又実際にも信号が表示されている限り運転者はその意味するところに従つて交差進行するのが通例であり、信号があるにも拘らず、これに依らずして道路状況等に応じてその運転方法を定めるなどということは殆んど考えられないものである。従つて信号機が作動している限り、それに対面する車輛の運転者の注意義務を定めるにあたつてはまずその信号の意味内容を明確にすることが何より重要であると考えられる。そして本件に於ては、被告人は前記認定のとおり黄点滅信号に対面して車輛を運転していたのであるから、まず右黄点滅信号の意味するところを明らかにする必要があることになる。

ところで、右黄点滅信号の内容が、検察官主張の如くそれ自体としては具体的な意味内容を有せず、その設置されている交差点の道路状況等によつてその具体的注意内容が定まると言うのであれば、結局信号に従うと言つたところで何ら意味がないことになり、前記説示の信号機の機能も全く発揮されないことになるが、果して黄点滅信号の意味するところは検察官の右主張の如きものであろうか。

本来信号は、前記説示の信号機の機能からして、その意味するところが明確且つ具体的なものでなくてはならず、またその信号自体のみで了解可能なものでなくてはならないことは言うまでもない。道路交通法施行令二条に於て定められている黄点滅を除く他の信号の意味内容も、例えば青色の燈火は車輛が直進及び左折右折が出来ること、赤点滅は一時停止すべきことなど、いずれも具体的且つ明確な表現をもつて規定しているのである。そうであれば、黄点滅信号についての「他の交通に注意して進行することができる」との意味も、右と同様に解すべきであり、これのみを検察官主張の如く道路形状等で補なわなくては具体的な注意義務が定まらないものと解することは、結局信号によつて与えられるべき運転者に対する注意義務の内容がその信号自体のみでは確定し得ないことになるうえ、その内容も不明確なものとなつて前記の如き信号の意義を全く没却することになるばかりか、黄点滅信号のみが他の信号とは全く異質の意味内容を与えられることになるのであつて、これは正しい解釈態度とは思われない。

そこで、黄点滅信号の意味である右「注意進行」を、その信号自体で了解可能とし、且つ他の信号の意味と同質のものとして解釈しようとするならば、まず、その意味内容として何ら明示的には要求をしていない「一時停止」及び「徐行」はこれを含まないものとして解釈せざるを得ないであろう。そして他の交通に「注意して」ということは、一時停止又は徐行は要求しないまでも、交差点の一般的危険性と、交差道路側が赤点滅である場合でも、歩行者はなお歩行横断し得ることに着目して、交差点を通過する際には他の場所における以上に他の交通状態に注意することを呼びかけると共に、人車との接触のおそれが事前に且つ具体的に認められない場合にはそのままの速度もしくは多少減速するのみで直進することを妨げないことを意味するものと解するのが相当と思われる。昭和四八年五月二二日最高裁判所第三小法廷判決(判例時報七〇二号一一一頁)中、黄点滅信号の注意進行の意味内容は「何ら特殊な運転方法ないしは注意義務を課するものではない」とするのもまさにこの趣旨であると思われる。

右の如く黄点滅信号が一時停止もしくは徐行を要求しているものではなく、一般的な注意のみを呼びかけていると解することは次の点からも実質的に裏付け得るものと考えられる。即ち、まず、他方の赤点滅信号が要求している一時停止の措置は、単に十分な左右安全確認のためのみではなく、本来その交差する道路の交通量等に対する考慮から、その交通道路側進行車輛の通行を一時停止側進行車輛より優先させる意図が含まれているのであつて、今次昭和四六年法律九八号による改正によつて加えられた道路交通法四三条後段(四条)もこの趣旨を注意的に明らかにしたものと考えられる。従つて赤点滅信号に対面する車輛の運転者は、所定の一時停止すべき場所で停止するのは勿論、再発進して交差点に入るにあたつても、交差道路上の交通の安全を確認し、接近してくる車輛があるときは、衝突の危険を回避するため所要の措置を採るべきことが要請されるのである(前掲昭和四八年五月二二日最高裁判所第三小法廷判決参照)。とすれば、黄点滅信号に対面する運転者としては、当該交差点が見通しの悪い交差点であり、その交差道路を進行してくる車輛を事前に現認し得ない場合ではあつても、その交差道路上の信号が赤点滅であるかぎり、その交差道路側を進行してくる車輛の方がまず右信号に従つて交差点直前で一時停止して黄点滅信号側進行車輛の接近の有無を確認し、接近車輛がある限りは仮に再発進するにしても、その黄点滅信号側の接近車輛の進行を妨害しないであろうと期待するのは当然であろうし、また右期待は相当なものとして保護さるべきものと言わなければならない。そして右期待は、単に赤点滅信号が「法規上」一時停止を意味していることに対する信頼によるというばかりではなく、現実にも赤点滅信号に対面する車輛が一時停止の措置をとる蓋然性が標識による場合に比較しては勿論、格段に高いものとして存在することから生ずるものとも言いうるのであつて、従つてその期待を保持すべきことは極めて相当と言わなければならない。そうすると黄点滅信号に対面して交差点に接近進行する車輛は、交差点内における衝突等の回避措置をまず赤点滅信号に対面する車輛に期待することが許されることになるから、結局、黄点滅側進行車輛には徐行等の措置は原則として不要ということになる。もつとも右の如く解すると、結果的には黄点滅信号に対面する車輛は、あたかも優先権を有する場合と同様となるが、これは万人が識別可能な信号という手段によつて、一方の側に一時停止という強い事故回避義務を求めた以上やむを得ない結果として是認されるべきである(その結果、従来黄点滅信号のある見通しの悪い交差点は交通整理の行われていない交差点であり、右黄点滅信号に対面する道路が明文上の優先権の認められる道路――例えば明らかに広い道路――でないかぎりは道路交通法四二条が適用され、徐行義務が発生すると解されてきたが、右説示の如く黄点滅信号に対面する道路が優先権ある道路と同視し得ることになれば、道路交通法四二条を適用することも当然とは言い難くなるであろう)。

もつともこの点について検察官は、法規上優先権ある道路は明定されており(道路交通法三六条)、これは制限的に解すべきであるから、解釈上その例外を認めるのは不相当である旨主張する。しかし右法規上の優先道路は、専ら道路の広狭もしくは優先道路との指定(これは標識、標示によつて表わされる)によつて生ずるものであるところ、本件の場合は、専ら赤点滅黄点滅という信号の表示によつて生じるものであつて、いわば赤信号に対する青信号の場合と同視し得ると考えられ(この場合青信号に対面する車輛が優先することは道路交通法三六条とは全く無関係である)、更にことを実質的に考えれば、黄点滅側進行車輛が赤点滅側進行車輛に優先するのは赤点滅信号の一方道路に対する規制の反射的効果によるものとも言い得るのであつて(その意味では「優先する」との言葉は法律上正確ではないことは認めざるを得ない)、従つて黄点滅信号側道路を進行する車輛に優先道路を進行すると同一の効果を与えるにしても、右道路交通法三六条には違反しないと考える。また松尾車は前記認定のとおり被告人車輛からすれば左方である南方道路から被告人車輛と殆んど相前後して本件交差点に進入してきたのであるから、交通整理の行われていない交差点における左方車優先の原則(道路交通法三五条三項)からして、被告人は松尾車の進行を妨げてはならず、従つてこれに反して被告人が、松尾車に於てまず一時停止し被告人車輛の進行を優先させるであろうと考えたことは不相当との考え方もあり得るが、仮に本件の如き見通しの悪いしかも信号が作動している交差点に於ても左方車優先の原則が機能するとすれば、運転者は信号が表示されているにも拘らずこれに依ることなく、徐行、左方優先というような一般原則によつて自己の運転方法を決めざるを得ないことになり、結局その判断は矛盾を強いられることになり、且つ信号の機能を全く認め得ないことになつて、かえつてその交通秩序は混乱することになるとも思われる。従つて本件の如く黄点滅、赤点滅信号が表示されている場合には、その意味するところを直截に受けとり、赤点滅信号に対面する車輛に一時停止及び再発進後の接近車輛との事故回避義務を強く認め、そこではもはや左方車優先の原則は作用しないと考えることの方が、本件の如き信号機の設置されている交差点における事故防止のための規制としては簡明且つ適当であると言うべきである。ただ右の如く赤点滅信号に対面する車輛の運転者にのみ強い一時停止等の義務を求めることには実際的な見地からの疑問もあり得ようが、一方においては、右車輛は進行妨害しない限り単なる赤信号の場合とは異なり、一定時間停止しなくとも自己の判断によつて交差進行し得るのであるから、その利便をも考慮に入れれば、右の如き要求も左程苛酷とも言えないであろう、そしてさほど交通が輻輳していない交差点における規制としての黄点滅、赤点滅信号の意義も、まさに右の点にあると言い得るであろう(もつとも点滅信号は右の限度において一面の利便はあるものの、なお運転者の判断に依つてその進行の許否を決する余地を残しており、その限りでは信号機を設置しながらその事故発生防止のための機能を中途半端なものとしており、果して妥当な表示方法か否かは問題と思われる)。

次に右の如き一時停止の規制が信号機によつてではなく標識によつている場合には、一時停止の標識が存在しない方の道路を進行する車輛の運転者にとつて、その標識の存在を認識することは必ずしも常に可能であるとは限らず、従つて右運転者によつては、一時停止の標識が存在する方の道路を進行する運転者が果して一時停止するか否かにつき判断を別異にする者が当然生じ得、もし右標識の存在を認識する者についてだけ道路交通法四二条の徐行義務を免除することにすれば、その結果徐行する者とそうでない者とがあり得ることとなつて、当該交差点における交通の規整は一律に行なわれなくなり、かえつて無用の混乱を生ずることになろう。以上のところから、単に一時停止の標識が設置されているだけの場合には、これが設置されていない方の道路を進行する車輛の運転者には徐行義務を免除しないことにも一理あるところではある(最高裁判所第三小法廷昭和四三年七月一六日判決刑集二二巻七号八一三頁参照)、しかし本件の如く一時停止の規制が信号に依る場合で、しかもいずれの道路からもその交差する道路側の信号の意味内容まで識別可能な場合には、右一時停止が標識に依る場合と異なつて運転者により判断が別異になる可能性は全くないと言い得ると思われるうえ、その規制効果も標識による場合よりははるかに高いと考えられられるので、そうすると前記の如き一時停止の規制が標識によつた場合に、これが存在しない方の道路進行車輛の運転者に徐行義務を免除しなかつた理由の大半は失われることになる。従つてここでも黄点滅信号に対面する車輛の運転者に徐行義務を要求する根拠は見出せないことになる。

なお横断歩行者に対して、赤点滅信号は、前記施行令二条一項により「歩行者は他の交通に注意して進行することができること」を意味し、従つて赤点滅信号に対面する道路上の歩行者は、同一道路上で車輛等は一時停止するもなお黄点滅信号に対面する道路上を横断歩行することがあるわけでありそこで右歩行者に対す関係で黄点滅側進行車輛等の運転者に徐行義務を問題とすることも不可能ではないが、本件では対車輛との関係における徐行義務が直接の問題であるうえ、右歩行者に対する関係では法律上も一律に徐行義務が生じる訳でもなく(道路交通法三八条一項参照)、且つ本件では前記認定のとおり事故発生時には横断歩行者はいなかつたのであるから、いずれにしても本件では対歩行者との関係では徐行義務を問題とする必要はないと言わなければならない。

以上のとおりであって、いずれの点からも黄点滅信号に対面する車輛に徐行を求める根拠は見出せないのであつて、そうであれば、結局黄点滅信号の意味内容は、やはり前記説示の如く、交差点の危険性等に照して事前に具体的な危険が察知されない限りは四囲の情況に気を配つて進行すべきことを要求しているにすぎず、それ以上に一時停止、徐行までも一律に要求しているものではないと解するのが相当と考えざるを得ない。そして右のとおり黄点滅信号の意味が明らかであるとすれば、これを内容不明確として交差点の道路状況等によつてその意味内容を補充しようとすることは許されないことになる。

なお検察官は見通しの悪い交差点という観点から、道路交通法四二条による徐行義務の存在をも主張するが、本件の如く信号機が設置されている場合には、見通しが悪いというが如き道路形状等によつて発生する注意義務よりも、信号そのものによつて生ずる注意義務を優先させるべきこと既に詳述したとおりであるから右主張は採用しない。仮に検察官の如き右主張を採るならば、赤点滅信号という強い表示方法によつて一方の側に一時停止を求めた道路交通法の趣旨は没却されることになろう。

このように見てくると、結局、自車と対面する信号機が黄点滅を表示しており、交差道路上の交通に対面する信号機が赤点滅を表示している交差点に進入しようとする自動車運転者としては、徐行すべき道路交通法上の注意義務はないことになる。そして右徐行義務の免除は実質的にも交差点における事故発生防止のための注意義務を第一次的には負わせないことを意味するから、刑法上の注意義務も免除することになり(道路交通法上は徐行義務なくとも刑法上はこれが存在するというような関係にはなく、両者は一致する)、そうすると被告人は刑法二一一条における業務上の注意義務を怠つたものとも言い得ないことになる。もつとも事柄を実質的に考えても、前記説示の如く黄点信号に対面する車輛の運転者は、自己が右信号の意味するところに信頼して進行する限り仮に交差道路から交差点に接近してくる事輛があつても、その運転者において赤点滅信号に従い一時停止及びこれに伴う事故回避のための適切な行動をなすものと信頼して運転すれば足りるのであつて、敢えて右信号に違反して交差点に進入する車輛のあり得ることまで予想して安全確認をなすべき業務上の注意義務を負うものではないとも言うことが出来るであろう(前掲昭和四八年五月二二日最高裁判示第三小法廷判決、同四五年九月二九日右同小法廷判決、判例タイムズ二五三号二三三頁、同四三年一二月二四日右同小法廷判決、右同二三〇号二五四頁各参照)。

そこで本件についてこれを考えると、前記認定の如く本件事故当時、被告人が普通貨物自動車を運転して時速二五ないし三〇キロメートルで本件交差点に接近した際、その対面する信号は黄点滅であり、その交差する南北道路に対面する信号は赤点滅であつたのであり、これらを被告人は了知し、他に接近車輛及び歩行者も交差点付近には見当らなかつたことから、以後仮に見通しの悪い左方である南方道路から本件交差点に接近進入しようとする車輛があつても、該車輛においてまず一時停止して自己車輛を先に通過せしめてくれるであろうと考え、現に松尾車を発見した際も同様の考えを抱き続け、その結果急制動の措置等もとることなく通過進行しようとしたことが明らかである。とすると、前記説示のところからして被告人が徐行しなかつたからといつてこれを不注意であるとして批難することは出来ないと言わなければならない。もつとも、被告人が松尾車を発見した際、その速度、双方の距離関係等からして衝突することが必至である場合で、しかも直ちに回避措置を採れば衝突を免れることが明らかであれば、そのような場合には被告人車輛に一次的には義務違反がないにしても、なお右衝突回避義務違反の有無を問題とする余地は残ると言い得るが、本件においては、交差点進入前における徐行義務のみが問題とされているのであるから、右の点における義務違反の点には触れないこととする。

四、最後に予備的訴因について考えるに、検察官はその徐行義務の発生根拠として、本件交差点が見通しが悪いことから道路交通法四二条に該当するというのであるが、既に繰り返して説示した如く信号機が設置されている場合にはその表示するところを優先させるべきであり、且つ被告人の対面していた黄点滅信号は「徐行」を意味していないことが明らかであるから、被告人については道路交通法違反の刑責も問い得ないものである。

五、以上のとおりであつて、結局本件公訴事実はいずれも犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

(須藤繁)

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